野口体操で身体を少しほぐした後、半年間「あわい」を歩いてみて感じたこと、考えたこと、浮かんだことなど、それぞれの現在を、お互いに伝え合う、というワークを行いました。後半は3月に実施予定の成果展も視野に入れつつ、それぞれが「あわいの今」を表現するために必要と思う作業を行いました。

❶野口体操

花崎)今回のワークショップでは、いろいろなことに新しく触れる経験をしました。野口体操の中の一節で、「原初生命体としての人間」という言葉があります。人間は進化して、今は基本二足歩行になっているけど、元を辿ると、一個の細胞だった。海から上がってきて陸で暮らすようになった進化の過程がある。生き物の始まり、始原的な細胞のことを、野口三千三さんは「原初生命体」と呼んでいます。今の人間も「原初生命体」と繋がっています。野口体操では、人間を皮膚に包まれた液体的なものと見立てています。かつて細胞だった時の名残で、その中から骨や内臓が作られ、今となっては複雑な形態をしていますが、先ほども言ったように、かつては一つの細胞で、海の中にいた。そのイメージを持ちながら、水袋を用いた、最初の体操をしていきます。

◉水袋
野口体操で用いられる人間の身体についてのイメージが紹介され、その後、参加者にお湯の入った水袋が配られ、それを用いた体操が行われました。

花崎)まずは、水袋を触ってみましょう。1箇所触っただけで波のように末端に動きが伝わっていく。横から力を加えていくと土台が変わり移動していきます。次は、仰向けになって、お腹に水袋を置いてみます。イメージの力も借りて、自分の体が水袋だったらどうだろう?と想像しながら、身体を揺らし、水袋をゆすってみる。息を深く吸って、吐いて、身体の中の感覚に気持ちを持って行ってみる。目を少し閉じてみる。自分が水袋になっていくイメージをしてみます。最後に、筋力を一番使わないで、身をゆっくりおこしてください。

◉「触れる」ということ
野口三千三の著書『原初生命体としての人間』の中から『「触れる」ということ』という文章が紹介されました。

「触れる」ということ(野口三千三)
”大事に触れるということは、自分の中身全体が変化し外側の壁がなくなって、中身そのものが対象の中に入り込もうとすることである。そのことによって対象の中にも新しく変化が起こり、外側の壁がなくなり、中身そのものが自分に向かって入ってくる感じになるのである。そして、自分と対象との中身がお互いに交り合い、溶け合って、自分と対象という対立する二つのものはなくなり、あるのはただ、文字通り一体一如となり、新しい何ものかを生み出す反応が今ここに起こりつつあるという実感がある。”

◉背中の対話
二人一組になり、背中合わせになり、お互いに寄りかかり、寄りかかられを繰り返しました。

花崎)野口さんは、哲学的なことを、体操しながら思考された方です。さっき使った水袋を例にします。ふたつの水袋をお互いに寄りかからせてみると、お互いの重みで変容していきますよね。細胞も、細胞膜の変化で、こちら側のものが染み込んでいったり、逆の場合もある。気功でいうと、誰かの”気”が、相手の中に作用を及ぼす。誰かに寄りかかると、相手の形や中身が変わっていく。この、触れ、触れる、ということを、2人ペアになって、背中合わせで、経験してみます。

お互いに楽な座り方で、背中合わせに、相手の背中に背中で触れてみます。お互いに体を揺らしながら、少しずつ馴染ませていきます。馴染んできたら、相手にゆっくり寄りかかったり、寄り掛かられたりしながら、相手の背中の温かさを感じてみる。いろいろなことを思いながら、背中合わせでゆらゆらしてみてください。

◉参加者の感想
・水の時のように裏側もタポタポ言っている感じがする。
・暖かかった
・背中は馴染むのだな、と思った。
・うつ伏せになっている方が楽だった。
・1回めは緊張感があった。2回目はどちらでも良かった。
・自分が乗っかるのは緊張した。気を遣った。
・家族以外に人の体に触れることがなかったので、暖かい感じがした。
・慣れてくると大胆なことをしても大丈夫になる。
・あわい、人と人の間にもあわい、があったりなかったり。なかったら寂しい、ありすぎたらしんどい。

❷他己紹介

第1回ワークショップの際に行った「他己紹介」を再度行いました。
二人一組になり、設定された質問を元にペアになった相手にインタビューを行いました。最後にインタビューをした相手の答えを他の参加者に紹介しました。

質問内容:
○ 印象に残っているワークショップは?それはなぜか?
○「あわい」について思うこと/イメージすること

◉参加者の答え
①ポランさん芦沢さんペア

・ポランさん→芦沢さんの紹介 
Q1) 印象に残っているワークショップは?それはなぜか?
・岩井さんの聖蹟桜ヶ丘の回、雨の中のワークショップ。事前にやった予習動画もみれていなかった。実際に参加してみて、皆無言でやられているので、ああ、こうなっていくんだ、と思ったことが印象的。あんなことは自分だけではできない。未知との遭遇のような感覚が面白かった。

・福島での2回目のフィールドワーク。ズームならではの面白さ。芦沢さんはライブビューイングの運営をしていた。zoomで繋いで、画面で見ていたが、テレビのようではない。長時間だったので、体験と映画と同時に体験したというような感じ。まるでSF映画を見ているような感じだった。

Q2) あわいについて思うこと
よくわからない。今回のワークショップもそうだけれど、同じ体験をしていても考え方が違うということがわかった。ああ、そういうことがあわいなのかも。全部のワークショップには出られなかったけれど。普段会えない人と経験したことのないことができたことは楽しかったです。

・芦沢さん→ポランさんの紹介 
Q1) 印象に残っているワークショップは?それはなぜか?
印象に残ったワークショップは、岩井さんのシェアスタジオで、朝までシャトーで話したこと。最初は人数が少なくて、帰ろうと思ったが、学生のように終電を逃した。帰る場所があってよかった。途中で武蔵美の学生が来て。岩井さんの話の振り方がうまかった。みんなは日の出を見たそうで、始発で帰らなければ良かったなと思った。

Q2) あわいについて思うこと
よくわかんないなと思う。今日の背中合わせ心と体が繋がっているな。
消そうと思っても消せない、、、それがあわいかな。

②石畑さんキンバリーさんペア

・石畑さん→キンバリーさんの紹介 
Q1) 印象に残っているワークショップは?それはなぜか?
印象に残っているのは、サケの曽我さん。研究者なので、研究対象のことを伝える、保存するということであれば、そのものを撮影したりする方法もあるが、曽我さんの場合には自分の手で再現した。自分の手を通して再現しているということが、研究者のやり方との違い、主観的なものを入れ込むということが印象に残った。

Q2) あわいについて思うこと
あわいについては、複数の時空間にたちながら、互いに見つめあっても乗り越えられない何らかの空白。そこまで感じている、その感覚をもう少しKさんに聞いてみたい。

・キンバリーさん→石畑さんの紹介 
Q1) 印象に残っているワークショップは?それはなぜか?
曽我さんのワークショップの映像作品。生き物を通して魚の皮、骨、靴にしていく、魚を他のものに変化させていくこと、違う世界を見せられたこと。もう一つは大熊町のフィールドワーク。木村さんのご自宅。残されたままの庭。久しぶりに土を踏んだという感覚があった。木村さんからしたら除染したら木を植えることができるが、除染してしまったら、土を取り除くことになってしまう。

Q2) あわいについて思うこと
あわいについて、普通の時間という言葉から、過去、未来、そういう視点を広げていく。関係性の淡い、だったのが、二次元ではなく、上にレイヤーが重なっていって、薄い膜があるような感じがあった。自分がレイヤーをかぶる、それが重なってくるという感じ。

③前田さん箕浦さんペア

・前田さん→箕浦さんの紹介 
箕浦さんは、一回目の福島訪問をZoomで見ていた時。波の様子とか、過去と未来が動員されている気がした。あわいという言葉も、今回参加して敏感になった。記憶や実際に話されていることが過去の記憶とか、全部混ざって、未来も混ざって平な感じという。(どこのシーンと聞いたら)歩いている様子をうつしてくれていて、昔の様子とは違っているだろうけれど、全てを見ているわけではないからこそ想像することができる。そういう感覚で見ているからこそ、リンクするものがあった。自分がその場所にいけないからこそ想像する。自分の感覚とリンクするものがあった。

・箕浦さん→前田さんの紹介 
前田さんが印象に残ったワークショップの話。岩井さんの最後のワークショップ。全ての行程を終えて、Jヴィレッジ駅で帰りの電車を待っていた。青春18切符を使っていて、遅い時間でなければダメということで、余った時間で海の様子を見ていた。海を眺めていて、自分では全くそういう感覚がなかったのに、震災のことを思い出した。一緒にいた人に震災の時にどうしていたのか、と質問した。その質問がとても何気なく出てきたことが自分でも驚いた。

シェアスタジオで、松田さんが海のことを写真に残していて、無心でシャターを押してしまったと言っていた。そのことと、自分の何気なく質問が出てきた感じが似ている気がして心に残っている。

あわい、は、その質問がぽろっと出てきたことに似ている。言葉にうまくできないが、質問が出てしまった過程があわい、というAさんの言葉が印象に残り、素敵だなと思った。

❸WSで得た気づきを、外に出してみる試み

3月から約3週間行われる、参加者のこの間の気づきを外在化してみる試みの場、「気づきの共有」展を意識しつつ、何を誰に伝えたいのか、その誰かに伝えるためには、どのような方法がありえるのか、考えたり、相談したりする時間をもうけました。

花崎)先ほど前田さんが、思いがけない質問が自然に出たとおっしゃっていましたが、なぜこんな質問が出たんだろう、とか、突き止められるかどうかわからないですが、考えたり、その考えるプロセスを外に出してみる。外に出す方法は、写真や文章、立体物など、いろんな方法があると思います。展示もあるけど、それをそこまで意識しなくてもいいので、外に出してみる、そういう可能性について考えながら、今日の空間の中で、試みてみてください。やってみないとわからないところもあると思うので、こうしたらどういうふうに見えるのかな、というのを、自由に試したりしてみてください。企画書とか、計画書みたいなものを書いてみるのもいいかもしれません。手がかりがなければ、周りの人に相談してみてください。

 また同時に、自分が感じたことを、誰に伝えてみたいか、考えてみてください。木村さんかもしれないし、シャケかもしれないし、未来の誰かかもしれない。誰に伝えてみたいか。そして展示する場所も、最終的にはギャラリーで展示するんだけど、自分が何かを感じた現場だったり、防波堤だったり、そういう射程で、ギャラリーで展示するということに縛られずに考えてみてください。レイヤーが色々だったと先ほどおっしゃっている人がいましたが、もちろん2023年に展示するのだけど、誰に見てもらうのがいいのか、過去の人かもしれないし、未来の人かもしれないし、海外の人かもしれない。枠を外して、考えてみてください。

❹展示してみたいこと、考えたことを共有してみる

◉キンバリーさん
研究している足尾銅山と渡瀬流域のことを、表現してみたい。

1.硫酸銅の結晶、硫酸鉄を作る
実物を展示するか、写真を撮って変化を貼ってみる。

2.足尾で出会った植物と足尾の昔の文章
昔の文章をどうするか。朗読を録音してみてもいい。

3.足を再現(第1回WSで作った方法で再現したい)
植樹するところと植樹できてないそのままのところ
対比を表す足を作る。

4. 松木村 汚染されている部分の地図

5.渡良瀬遊水地
半透明の写真を使いたい

6.土地改良の地域
昔は汚染されていたけど、今は見えない複雑な関係性をどう表すか? 
情報的なものをどのように見せることができるのか?

◉ポランさん

1.写真のファイル
大熊町の写真
学校、街、木などのタイトルをつけ、分類している。

2.台湾の核処理場のエッセイ、紙芝居の朗読をしたい。

◉前田さん
・2月18日のシェアスタジオで、感情についての話になった。感情によって伝え方が変わるという話。
・桃太郎のワークシートを展示会場において、やってもらったものをジンにまとめてみる。
・海をみた時の写真、松田くんの写真と重ねたら面白いかな。桃太郎のワークシートのコマを松田さんの写真にして、来てくれた人に選んでもらい、記録してみる。

◉箕浦さん
・菅野栄子さんとの対話が心に残った。その人に向けて手紙を書いて、展示という形で出そうと思っている。実際に対話はできなかったが、何らかの形で自分の気持ちをお伝えできたらと思っている。

◉石畑さん
福島に実際行って、土、というのが印象に残った。土をテーマにしつつ、あわい、の重なってくるイメージを記憶のコンポスト、布のプランターの断面に見えるようにしつつ、水に溶ける紙を使って、記憶を写真を入れてみる。記憶のコンポスト

◉芦沢さん
植物がとても好きで撮っている写真がある。
福島へのフィールドワークは、zoomで参加したが、空がとても綺麗だった。空の写真、手が入っている畑、入っていない畑、雑草は刈り取らなければいけないのか?でも雑草も綺麗だよね。薹が立つってネガティブな言葉だけど、菜の花は薹が立っても綺麗。それがあわいかも?展示方法は、両方の要素が入った写真を表裏にして、吊り下げる。紐もレモングラスで編んでもいいかな。

◉佐藤さん
自分がいろいろな場所で撮っている写真を展示したい。3月20日は地下鉄サリン事件の慰霊の日だが、2020年の3月20日に、慰霊式に出席して写真を撮って、そのままサティアンに行ってそこでも写真を撮った。その写真を展示したい。東京の風景も合わせて。聖路加病院の公園、サティアンの富士山を大きくしようかと思う。

事件の情報もあった方がいいか?
サティアンとサリンの場所。最低限の説明は書こうと思っている。自分の関心は、事件を伝えたいというより、綺麗な景色と起こったことのギャップについて考えたい。

❺最後に、花崎さんからのコメント

 あわいとは、同心円なのかな?皆さんそれぞれにとってのあわい。一つではない。生まれたり消えたりもする。起点と言っていいかわからないが、それぞれの関心や、検討していることがあり、そこから広がるあわいの違いがある。今度の展示では、個々の作品としてだけではなく、空間としてあわいが感じられるといいなと思う。置き方、展示、設置方法、フロアプラン、その作っていく過程も面白いのでは。実験ですね。