多摩地域を舞台に、地域の文化的、歴史的特性をふまえつつさまざまな人々が協働、連携するネットワークの基盤づくりを進めます。
多摩地域は、東京23区に比べて広大な面積を有し、かつ多摩川や奥多摩といった地理的な特徴、都心から放射線状に開発された電車網とそれに付随した宅地開発など多様な特性を有しています。
多摩地域は高度経済成長期に大規模な人口流入があり、多摩ニュータウンをはじめとした様々な開発は都心への通勤者を支えました。一方でその動きは多摩地域が持っていた農業地としての基盤を根底から覆し、昼夜間人口比の低い比較的均質な、いわば都心へ通勤する人たちを支える郊外地としての性格を強くしました。
この歴史は、戦前から戦後、今日に至るまで、日本社会の現代史を体現するような側面も有しています。特に、地方からの大規模な人口流入、エネルギーや水資源の供給は、東京を取り巻く近県にとどまらず、東北や甲信越、ひいては遠く日本の隅々にまで及ぶものであったと思われます。
今日、高度成長期に都心から郊外へ拡張した人口、あるいは地方からの流入した人たちは核家族化―高齢化し街は短期間で大変化の中にあります。
本事業では、以下のプロジェクトを通じ、多摩を日本の現代社会を考えるための一つの象徴としてとらえ、そこにある諸課題が照らし出す事象を通じ、私たち自身の暮らしを見つめ直すことを試みます。
- 多摩の未来の地勢図をともに描く ― あわいを歩く
- ゆずりはをたずねてみる ― 社会的養護に関わる人たちとともに
- ざいしらべ 図工 ― 技術と素材について考える
- たましらべ
cleaveという動詞には、「切り裂く」という意味と、「くっつく」という意味があります。切り離すことは接合することではありません。けれども、ごく単純に考えて、切り離すことは、切り離された対象を強くクローズアップさせる、そもそも、切り離すべく何かがなければ、切り離すという行為は存在しません。切り離すことはより強く結ばれていた実態を炙り出します。
首都東京を辺境として外から見ることを試みる、あるいは自分自身に執着する「わたし」を、辺境とし外から見ることを試みるとき、辺境としてのそれらを照らす光として、水俣、沖縄、福島、あるいは新潟といった、近現代の日本を支えた地に助けを借りたいと思います。反転させてみること、あちら側からこちらを見ること、これらを成すために、アートは時に思いもよらない(危ういながらも確たる、そして変わり続ける事を肯定する)足場を提供します。
水俣や沖縄、福島に立ち、首都東京を見ること、東京あるいは多摩を相対化し、立脚点をずらし、視点を変えていくことで、これからの私たちの暮らしについて、新しい眼差しを得ることができないか、という仮説でもあります。立脚点をずらしていくこと、その回転運動が血流をよくし、あるいは呼吸をしやすくするのではないか?
どのように、自分自身を外に向け、可能性を見出そうとするのか? その先にどのような空間を、関係を形作ることができるのか、対象と我、の距離を創造的に昇華させる道筋を、社会、のなかで探ってみたいと考えます。
主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、特定非営利活動法人アートフル・アクション
* 本事業は「東京アートポイント計画」として実施しています。
4つのプロジェクトについて
多摩の未来の地勢図をともに描く ― あわいを歩く
日々生活していると、自身がどこにいるのかわからなくなる時があります。戦争の勃発、災害の発生、様々な不条理、暴力や困難が溢れる一方で、一見、平穏な生活が営まれています。重層的に関係し合う様々な問題や解決の見えない状況の続く中、私たちはそれに何らかの形で加担し、大きな矛盾を抱えながら生きています。自身の生きている日々がどのように成り立っているのか。その中でこの現実とどのように関係を作っていくことができるのか。様々な土地を歩きながら、この答えのない時代の状況を共に考えます。
「あわい」という言葉には、「間」と「淡・い」という二つの漢字が当てはまります。「間」はものとものとのあいだや境界線、相互の関係、また古語では媒介という意味を持ちます。「淡い」は形や光がぼんやりしている、かすかであるさまをあらわします。今回、私たちが歩こうとしている「あわい」はこの二つの漢字の意味が混ざり合ったようなところを指します。あわいのさまは向き合う対象(風景、人、言葉、時代、距離、その他様々なこと)との相互関係によって変化し続けます。そのあわいのありようを探求することで、出会う対象への身体の傾け方が少しづつ変化していくのではないかと考えます。
不明瞭な、解決の見えない状況のなか、「あわい」について、あるいは「あわいの歩み方」を考えることは、これからの私たちの行方を考えるためにとても大切な営みです。 特に、未来を見据えつつ、多摩/東京に住まう私たちの今日の暮らしを成り立たせてきた歴史を振り返る時、東京にいて東京を問うだけでは、その実像が掴めないのではないかと考えます。歴史的に、東京は東京を取り巻く様々な地域、場所から、資源やエネルギー供給を得、人々の知恵や労力によって成り立ってきました。東京を東京たらしめてきたこれらの経緯を、それらを送り出したその地の風景、人々、作られてきたもの、損なわれてきたもの、複合災害(※)の構造について知りながら、そちら側からもう一度東京を見ることを通し、これからの私たちの暮らしをとらえ直します。
考えるという言葉の語源には「か身交(みか)ふ」という言葉があります。この言葉には「心」や「頭」だけで物事を理解するのではなく、「身体」という外の世界とつながる媒介を通して思考するという意味が含まれています。身体で感じることを頼りに様々な地を歩き、「か身交(みか)い」ながら土地との交わりを経験し、自身の問いにつなげていきます。単純に解決しがたい今日の様々な状況を、1かゼロかでとらえるのではなく、あわいを歩くことで、あわいの存在を持ち堪えながら考えます。
そして、アートは、物事をとらえる眼差しを更新する力を内包します。
本年度はこの「あわいを歩く」ことを軸に、アーティストや様々な土地に暮らす人々の参加を得ながら、ワーク/レクチャー、フィールドワークへの参加と、それらの経験を通したフィールドノートの作成を行い、新しい眼差しで世界と出会う方途について考え、経験し、参加者それぞれが問いを深め、東京/多摩地域におけるそれぞれの方の実践にフィードバックしていきます。
※複合災害 :ここで使用する「複合災害」という言葉は、過去から現代に続く様々な出来事、事故、災害、(自然環境や社会経済状況の変化も含む)が要因となり、合わさって起こった事象のことを指します。
ゲスト
花崎攝
シアター・プラクティショナー、野口体操講師。ロンドン大学ゴールドスミス校芸術学修士。専門は、演劇を人々の生活の中で活かし演劇の可能性を広げる応用演劇。主な仕事に、公募で集まった人の経験を聞き合って演劇の形で表現し共有する「地域の物語」シリーズ(世田谷パブリックシアター)、胎児性水俣病患者と市民と共創した「水俣ば生きて」(水俣病公式確認50年事業)、横浜の寿町で精神科デイケアにつながる人たちと、てがみを書くことを通じた表現と交流を目指す「ことぶきてがみプロジェクト」など。武蔵野美術大学、日本大学芸術学部、立教大学非常勤講師。https://vcd.musabi.ac.jp/web/?p=6817
岩井優
1975年生まれ、東京藝術大学美術研究科博士後期課程修了。国内外の地域にて参与的な手法で活動に取り組み、クレンジング(洗浄・浄化)を主題に、映像、インスタレーション、パフォーマンスを展開している。主な展覧会に、「見るは触れる 日本の新進作家Vol.19」(東京都写真美術館、2022年)「ヨコハマトリエンナーレ2020 AFTERGLOW ―光の破片をつかまえる」(横浜美術館、2020年)、「新・今日の作家展2018 定点なき視点」(横浜市民ギャラリー、2018年)、「リボーンアート・フェスティバル2017」(宮城県石巻市街地、牡鹿半島、2017年)、個展「公開制作83 岩井優 ハウツー・クリーンアップ・ザ・ミュージアム」(府中市美術館 、2021-22年 )、「コントロール・ダイアリーズ」(Takuro Someya Contemporary Art、2020年)など。
曽我英子
東京都生まれ。イギリス在住。ロンドン芸術大学チェルシーカレッジ、ロンドン大学スレードスクール卒業。現在オックスフォード大学にて研究を行っている。フィールドワークから得た知識や、出会う人々との記憶を辿りながら制作を行い、それらを、映像、テキスト、インスタレーション作品として発表している。アートの視点から、社会環境から感じる違和感をどう理解し「問う」ことが可能であるかを探求しながら活動を続ける。
藤城光
水戸市出身。大学で文化人類学を学んだのち、東京でデザイン業に就く。2010年いわき市に移住したことをきっかけに、土や植物、モノ、大地に刻まれた記憶などをテーマとした作品制作をはじめる。2011年の東日本大震災以降、聴き書きや場づくり活動などもしている。主な展示として、「VOYAGER」(さいたまトリエンナーレ[2016]、はじまりの美術館[2018])、「彼女の町、彼の海岸」(駒込倉庫[2017])、「地中の羽化、百億の波の果て」(しらみずアーツキャンプ[2020])等。https://hikarifujishiro.com
なかのまさき
東京水産大学(現・東京海洋大学)大学院博士前期課程修了。1995年より北欧フィンランド、ノルウェーを訪れ、北極圏サーミランドの先住民族・サーミのサケ・マス漁やトナカイ飼育のようす、都市に住むロマ(ジプシー)の人びとなどを撮影しているhttp://nakanomasaki.com
菅野栄子
昭和11年(1936年)生まれ 佐須地区出身。46年間を酪農に費やし、70歳からは夫とともに有機農業を手掛けてきた。農作業の傍ら、20年にわたって義理の両親の介護をしてきた。一方で、地元の女性とともに加工グループを立ち上げ、伝統的な飯舘村の食文化である「さすのみそ」「凍み餅」「凍み豆腐」などを作り、村に貢献してきた。夫を原発事故の前年2010年6月に、義理の母親を原発事故の1カ月前に亡くす。息子が農業を継ぎ、これからは息子とともに自分のために生きようという矢先、原発事故が起こった。伊達東仮設住宅で避難生活を送った後、避難指示解除後に飯館村に戻る。3人の子どもと6人の孫がいる。
木村紀夫
team 汐笑(ゆうしょう)プロジェクト代表・大熊未来塾塾長
1965年福島県大熊町の海沿いにある熊川集落に生まれる。自電車で放浪生活をしつつ自給自足的な生活に憧れた20代を経て、帰郷し、結婚。娘2人を授かる。45歳で東日本大震災により被災。津波で父と妻、次女を失い、原発事故で故郷を追われる。父と妻の遺体は見つかるが次女汐凪(ゆうな)の一部発見までに5年9ヶ月を要する。捜索の傍ら、避難先の長野県白馬にて便利なものに頼らない生き方を追求し、震災の伝承だけでなくこれからの生き方に疑問を投げかけるようなイベントを開催。現在は現在は福島県いわき市に拠点を移し、中間貯蔵施設内の自宅跡に通い発信をつづけ、自身の得た教訓を次世代に絶やさない未来を町で実現するために日々奔走している。
ゆずりはをたずねてみる ― 社会的養護に関わる人たちとともに
社会が一層の複雑さを増す中、さまざまな事情で親元で暮らせない子供たち、児童養護施設などで子供たちを支援する人たち、施設を退所した人たち、そして、彼らとともに地域で暮らす人たちがいます。特別なこととしてではなく多様な背景のたくさんの人たちが、音楽やダンス、心と身体をほぐすための小さなエクササイズをともにして、肩から力を抜き、隣あう人々と緩やかに出会い、日々を重ねる、そんな時間と場を、みなでつくります。
ゲスト
花崎攝
シアター・プラクティショナー、野口体操講師。ロンドン大学ゴールドスミス校芸術学修士。専門は、演劇を人々の生活の中で活かし演劇の可能性を広げる応用演劇
松村拓海
ミュージシャン 音楽家 音楽理論、即興、楽譜読み書き、レッスン生常時受付中。http://takumijazzflute.tumblr.com
共演参加 俺はこんなもんじゃない / 菅原慎一 / nariiki / 恥御殿 / 黒岡オーケストラ / ソボブキ / Kenichiro Nishihara / 菊地雅晃 など
原田真帆
ダンサー 神奈川県生まれ。東京都在住。幼少期より井上恵美子に現代舞踊を師事。立教大学現代心理学部映像身体学科卒業。在学中は松田正隆やチョン・ヨンドゥの元でダンスや演劇、哲学や心理学など様々な視点で表現の在り方について学び、学内や学外で意欲的に作品を創作、発表。現在はフリーランスで活動しながら、身体と言語の関係性を模索中。2015年より乳幼児のための舞台芸術に積極的に取り組んでおり、ダリア・アチン・セランダーやアリツィア・ルブザックなどをはじめ海外の様々な演出家の作品にパフォーマーとして出演。
ざいしらべ 図工 ― 技術と素材について考える
この事業は多摩地域の小学校の図工専科教員を主な対象に、手に入れにくい自然素材や大型素材の提供、伝統的な技術や技法、素材、ICTに関するワークショップなどの企画、実施を通じ、授業における表現や造形の拡張をうながすきっかけを作ります。また、伝統技術の取得だけではなく、技術が持つ広がりや役割、歴史的な背景について知見を深めていきます。それら素材や技術に関する情報、ワークショップや授業の様子を整理し、アーカイブすることで教員間、教員と資材を産出する地域とのネットワークの形成をはかり、地域の特性を授業や子どもたちの成長に活かすことにつなげます。
生産性や利便性が偏重され、身のまわりの大半が人工物で成り立つようになっている今、自然素材や原材料、それに紐づく技術に触れる機会は減っています。さらに、コロナの影響で遠隔授業が増えたことにより、自然やものに対する知覚や身体感覚の変化が懸念されます。このような状況の中、図工などの授業を通して出会いにくくなっている技術や素材に触れ、身体的かつ感覚的な体験を深め、リアリティを持って世界を知っていく過程は、これから様々な困難に直面していくであろう子どもたちになくてはならない経験であると考えます。
スタッフ
瀧本広子
南画家山本六郎に師事。日本画、伝統技術研究家。著作「つくって楽しむわら工芸」「つくって楽しむわら工芸2」農文協刊
宮下美穂(NPO法人アートフル・アクションスタッフ)
森山晴香(NPO法人アートフル・アクションスタッフ)
たましらべ
私たちは自身の住む土地のことを実は何も知りません。土地に積み重なる土壌、自然、歴史、文化、暮らし、人、様々なことを、それぞれが、少しづつ考え、知り、そして見つめ直すためにはじまったのが「たましらべ」です。ひと月に2回くらいのペースで、知りたいことのある人が調べ、そのことを共有し、皆で話しあいます。
スタッフ
鈴木幹雄 国立市谷保にあるシェアハウス:コトナハウスオーナー。赤坂の東京農村クラブの運営やこくぶんじカレッジ事務局、武蔵野三鷹小金井となりまちプロジェクト、株式会社D-LANDなどで地域に関わっています。
実施団体について
企画展、イベント、講演、ライブなど、様々なアート活動を行っています。NPO法人アートフル・アクションが目指しているのは、アートと出会った人が自分自身の新しい可能性を発見し、豊かな生き方を目指していくきっかけや場をつくることです。市民、自治体、学校、他のNPO、企業などと連携しながら、「地域におけるアート」の可能性を探究しています。
団体概要
名称
特定非営利活動法人アートフル・アクション
所在地・連絡先
〒184-0004 東京都小金井市本町 6-5-3
シャトー小金井 2 階 小金井アートスポット・シャトー2F
TEL/FAX 042-316-7236
E-mail mail@artfullaction.net