miro (ホワイトボード)について
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たましらべのきろく
- 2023
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「多摩ニュータウンって、どうしてああいうふうにできているのだろう?」(by 鈴木さん)
多摩=多摩ニュータウンというイメージがどうしてもあります。そんな多摩ニュータウンは一体どうやってできたのか。鈴木さんが調べてきたその成り立ちの話を聞きながら、つい最近行った諏訪団地のこと、団地に隣接する商店街のこと、そこから生協のことや、昔よく見かけた物売りのことなどへと話が広がっていきました。
参照リンク:
「多摩市史」通史編2(多摩市立図書館 多摩市デジタルアーカイブ)
東京の水道水源(東京都水道局)
生協の歴史 (日本生活協同組合連合会)
新日本風土記「多摩丘陵」(NHK BSプレミアム)
街の変化1960年〜(地理院地図)添付資料
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「商店からみる多摩の暮らし」(by 辻さん)
多摩丘陵が自然から団地に変わる中での生活の変化を、商店街の誕生と移り変わりから考えます。生活を営む上で欠かせない商店というものから、多摩における生活そのものの変化を考えてみたいと思いました。(辻)
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「よく会いに行く農家さんのはなし」(by Yさん)
今回はYさんが取材中に出会ったという、府中にお住いの農家のあばあさんのお話をしてもらいました。昔は酪農をやっていて、多摩川の方で水田をやっている農家さんから藁をもらっていたましたが、水田が住宅になり、藁が入らなくなってしまいました。その後、千葉から入荷、そしてその後は韓国からも入荷していたが、いずれも輸送費が高くて続けられなくなり、ほぼ同時期に多くの酪農家が辞めていったそうです。(25年~30年ほど前)
参照リンク:
「府中はたけ日和」(トランジションタウン府中農援隊)
公図における「赤道と青道」とは(『 i 不動産』のブログ) -
「八王子の由木村で会った鈴木さんと冨永さんに聞いた話とか」(by 森山さん)
八王子の由木村で、鈴木さんと富永さんにお会いしました。そのお二人にお聞きした話をしながら、元からその土地に住む人と、移住してきた人の関係性の話や、繋がりというものはどのように作っていくことが可能なのか、みなで考えました。
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「多摩ニュータウンのトイレの話」(by 早崎さん)
今回は多摩ニュータウンの公衆トイてについての話でした。多摩ニュータウンにはオープンスペースが多く存在し、そこには様々な形をしたトイレがあります。トイレの写真を眺め、それぞれの形にどういった意図があるのだろうか、と想像を膨らませつつ、公衆トイレの歴史や、オストミートイレの歴史、トイレに貼られる張り紙に書かれるお願い文の地域性について知り、考えました。
参照リンク:
企画コーナー展示「多摩ニュータウン トイレたんけん隊~Mr.ベンと巡るトイレとうんちの時空旅行~」(東京都三多摩公立博物館協議会)
先進的な公園のトイレ 多摩ニュータウン 知られざる歴史紹介(東京新聞 TOKYO Web) -
「玉川上水のあれこれ」(by Sさん)
1年ほど前、玉川上水にかかる小金井橋から見える風景が変わりました。玉川上水沿いの桜並木のために、整備が行われたようです。小平市側はいまだに雑木林が残っていますが、小金井市側は桜並木を残してすっきりとしています。そのことを考えながら玉川上水の歴史を振り返り、何故小金井桜以外の雑木を伐採することになったのか、「風景を残す」ということはどういうことなのか、みなで考えました。
添付資料
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崩岸辺にてー稲城の崩される山(by片桐さん)
今日は「崩岸」(アズ)についての話でした。崩岸とは崩れた崖地の普通名詞です。Yさんの農家さんの話の時に、稲城の大丸の話になりました。東京競馬場の土として利用するために使われたそうで、確かにそこには削られたような跡があります。今まで削られた風景に対してあまり違和感を持ってこなかったことや、今も開発が続く稲城の南山の風景の変化に感じることについて話しました。
参照リンク:
「崩岸の上に」(安島喜一)
「都民の文化財 ありがた山墓跡群」(亀井碩哉)
「里山をコモンズとした稲城市南山のまちづくり」(筑波大学大学院環境科学研究科 大澤のり子)添付資料
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「たまの水道」(by 鈴木さん)
人間の住むところと水は切り離せません。「多摩」には、水道の水源という位置づけと、戦後、消費地となった背景があります。そういった事実を整理しながら、水の流域に住む人と、水を消費する人、その場所で生活を維持していくことと、その水で生きていくことなどについて話し合いました。
参照リンク:
米国に広がる巨大ダム撤去ムーブメントとは?(瀬戸内千代)
Is Water Safe to Drink – 各国の水道が飲めるかどうかを可視化した世界地図 (akky’s work blog)
第2節 循環型社会の歴史(環境省)添付資料
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「ふりかえり」
今回はたましらべがまだ閉じられた会だった頃に話された内容の共有を行いました。
まずは宮下さんから「萩山実務学校」の話。「不良行為をなし、又はなすおそれのある児童のほか、環境上の理由により生活指導等を要する児童を入所させ、必要な指導を行い、その自立を支援するとともに、退所した児童に対し、相談・援助を行うこと」を目的としているそうです。(東京都福祉保健局HPより)「自立」という意味についてや、一県に一校存在するこの学校のはたしている役割について皆で話してみました。
森山さんは、第一次世界大戦〜第二次世界大戦までの間に多摩地域に存在した軍事施設や、関連施設、戦争遺構などを記した地図をみんなで眺めながら話しました。なぜ多摩地域に多くの軍事施設が存在したのか、なぜ立川がかつて「軍都」と言われたのか、その成り立ちや歴史を振り返りながら、現在の地図と照らし合わせました。
鈴木さんは日本の集合住宅の歴史と中央線の歴史について。ロンドンの田園都市構想を参考にした話や持家政策の話、中央線がなぜ開発されたのか、鉄道の開発が当時の日本の産業と密接に関わっていた話などでした。
参照リンク:
東京都立萩山実務学校(東京都福祉保健局)
「児童自立支援施設のあり方に関する研究会」報告書のとりまとめについて(厚生労働省)
児童自立支援施設を知っていますか?(こども劇場西多摩)
全国自立支援施設協議会
多摩丘陵に残る地下壕(タウンニュース) -
「多摩とうんこと米軍がもたらしたもの」
うんこに関して、様々な話がされ、盛り上がりました。うんこの話はみんな好きなようです。
「米軍、うんこ、多摩の茶飲み話」(Sさん)
私が小学生の頃、転校生にお弁当を分けてもらった記憶がある。それがサンドイッチで、生のレタスが挟んであった。今まで食べたことがないもので、すごく美味しくて、衝撃でした。生の野菜をそうやって食べることは今までなかったと思う。時代から言えば「洗浄野菜」がちょうど出始めた時代だったのかなと。その子の家はお医者さんで、開業するために引っ越してきた。衝撃がたくさんあった。その子の家に行ったら若いお母さんが出てきたり、紅茶が出てきたり。紅茶のことを、当時は「アメリカひじき」と言った。「うんこはどこから来て、どこへ行くのか。」(鈴木さん)
太平洋戦争の時に汲み取りする人が減ってしまったそうです。「黄金列車」が郊外へ屎尿を運搬し続けたと言います。「「多摩のあゆみ〜米軍基地と多摩」を読んで」(鈴木さん)
日本人の下ごえを使って作られた野菜は食べたくないという駐留米軍兵士の要望があった。「洗浄野菜の話」(Tさん)
レタスは奈良時代には伝来していたが、生食の文化はなかった。生で食べられるようになったのは戦後から。
洗浄野菜の概念が生まれてから蟯虫検査の蟯虫率が下がった。戦後すぐは90%と言われていた。農家の家庭とか貧困の家庭が自家栽培でやっていたので。完全に0になったのは2001年。「子どもたちの声が聞こえる」(宮下さん)
小金井神社の隣に回帰船保育所があった。共同保育所で、男性の保育士がいて、手で子供の鼻を噛んで、葉っぱで手を拭いたりしていた。子どもたちが好き放題遊んでいて、その日どう遊ぶかなども子どもたちが決めていた。トイレに行きたくなると、その辺でうんちしたりしていた。排泄を自分でコントロールしていた。今は管理されているけど、そういう野原で用を足す自由というか、排泄を自分で選べることは面白いなあと思った。色々な問題はあるけどね。「外国で、野外でうんこをした話」
大人になってから外でうんこをしたことがある。すごい思い出深い。それ以降やったことがない。絶対無理とかそんな感じではなかったなと。本当に小さい時は全然してた。そういう経験があったから大人になってもできたのかなと。 -
「もう一度うんこ、忌避されるもの」
「多摩とうんこ」編第二弾。
今回はうんこそのものより、それを扱う人に着目した回でした。「し尿汲取り」の高杉さんの話。うんこと差別の話。学校でうんこができない子どもの話。昔より匂いに過敏に反応するようになったりと、うんこすら自由にできないこの世の中に生きづらさを改めて感じる今日この頃。うんこドリルはみんな好きなのにね。 -
「府中の農家さんを訪問した話と千里ニュータウンの話」
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「多摩に住む人はどこからきたのか」(仮)
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「伊勢原の気になること」(by襟草さん)
今回は襟草さんに伊勢原の気になるところについて、話してもらいました。
>>「伊勢原」の名前の由来は伊勢国から来た人が土地を開墾したからという説がある。同祖神の多い伊勢原の、文化的に面白い話、多摩からもよく見える「大山」の話、昭和9年に高部屋地区に設立された恩賜財団母愛育会の話等が展開された。恩賜財団母愛育会は母親や子どものサポートを行う会で、当時全国で5箇所サポート場所が選ばれたが、高部屋地区は最初の地区だった。当時の高部屋地区は全国から見ても、衛生状態がよろしくなく、子どもが亡くなる率が高かったようだ。後半は場所を跨いだ文化の広がりの話になりました。
>>「廻地蔵」や「ヨウカゾウ」といった風習が伊勢原には存在するが、他の地域でもそれはみられる。昔は今の自治体のような境目はなく、地域はもっと広かった。自治体の区分けより広いエリアで文化圏は繋がっていると、今も感じることがある。参照リンク:
今井の廻り地蔵(熊谷デジタルミュージアム)
「廻り地蔵」(Erikusa Tei 都筑アートプロジェクト2020「パラダイスから遠く離れて〜土地に刻まれる記憶とアート」出品作品)
子育て地蔵とまわり地蔵信仰(横浜市)
一つ目小僧・ヨウカゾウ(海老名市) -
「ジブリのゆかりの地」(by早崎さん)
小金井市に住んでいたらジブリゆかりの地にたびたび出会いました。
最初はこんな日常からファンタジーを生み出せるなんてすごいと思いましたが徐々にこの風景を見ていきなりファンタジーを思い付いたのではなく、頭の中にあるものが風景と結びついたのだとか、ダイダラボッチを考えた昔の人のことを思うと、ネットがなければファンタジーは結構身近だとか、そういうことに気が付きました。(早崎)添付資料
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「オオカミの護符」について(by片桐さん)
関東に今も息づくオオカミ信仰の謎を追ったノンフィクション作品『オオカミの護符』の内容を紹介。信仰もさることながら、「土地」と向き合うとはどういうことか、著者・小倉惠美子さんの実践に焦点をあてました。(片桐)
参照リンク:
オオカミの護符(新潮社)
「オイヌサマ人気投票」結果発表ー!(世田谷デジタルミュージアム)添付資料
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「リヒターを起点にみんなで話す」
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「わたしのお散歩ふぉと」(by 松田さん)
コロナによる外出自粛を余儀なくされ鬱々とした日々が続くなか、唯一の楽しみだったのが買い出しの道すがら、身近なものを観察し撮影することでした。そこで撮りためたわたしの写真と現代美術家である赤瀬川原平氏の「トマソン」・「路上観察」関連の書籍紹介を2本の柱にして、散歩写真の愉しみについて考察しました。(松田)
添付資料
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「コロナの終わりについて」(準備中)
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「宗教」(by Tei Erikusa)
普段はなんとなく話しにくかったり、タブー視されている、宗教についての話を皆でしました。なぜ人間は宗教を求めるのか、何となく信仰していることやもの、日々の習慣などに絡めて、様々な価値観から語られた話が交差しました。(画像:Erikusaさんのメモ)
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「オオカミの護符上映会&トークショー」
映画「オオカミの護符」上映会を実施しました。今回は多摩地域の地域信仰に関心を持つ参加者が他の参加者と共同して企画しました。上映会後は、狼の護符作者の小倉美惠子さんをゲストにお呼びし、座談会をおこないました。
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「大島青松園」(by K.Y.さん)
瀬戸内国際芸術祭に行った際、訪れた大島青松園の記録をお話させてもらいました。
内容としては、主に大島に行った際の写真をスライドとしてまとめ、周辺の状況に関しても話すという形式でした。会では皆さまからの質問にうまく答えられたか心許なかったですが、瀬戸内海にある他のハンセン病療養所や、元患者さんたちの生活などに話題がおよびました。
正直、自分でも誰かに話すのが驚くくらい下手になっていましたが笑、かえって誰かと話すことが大事だと感じられたひと時であったと思います。(K.Y.)添付資料
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「さざなみハウス」(by宮下さん、片桐さん)
長島愛生園の中にある喫茶店「きっささざなみハウス」の成り立ちと、昭和28年に長島愛生園で結成されたハーモニカバンド「青い鳥楽団」の話をしました。
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「お墓について」 (by 鈴木さん)
添付資料
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「気違い部落のなんやかや」(by Sさん)
映画、「気違い部落」の概要を紹介しつつ、監督の話やその周りの逸話を紹介しました。
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「映画気違い部落のその後」(by 鈴木さん)
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「多摩の郷土料理」
多摩や、各参加者の郷土料理を紹介しあいました。地域固有の食べ物、というよりは、県をこえて、同じような食べ物が郷土料理とされていたり、その背景には土地の特性があったりと、色々な発見がありました。
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“芸術祭の現在”から妄想する 奥多摩国際芸術祭(by 辻野さん)
屋外型で回遊型の妻有地区「大地の芸術祭」を参考に、ほぼ同じ面積を有する東京の多摩地区で「奥多摩国際芸術祭」を開催するとどうなるか。ということを妄想しています。
奥多摩とありますが、多摩地区全体を包括する芸術祭です。
この地区は高所=奥へ行くほど回遊が難しくなるため、「浅い」地域で簡単なミッションをこなしつつ昇っていく、などゲーム性をもたせることが可能になり渋滞対策になるかも…など他愛ない妄想ですが、少しでも発想の種になれば幸いです。(辻野)参考リンク: 現代アートよ永遠ナーレ
添付資料
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「ファーレ立川 岡﨑乾二郎作品の撤去問題と、パブリックアートについて」(by 杉原環樹さん(ライター・編集))
立川駅北口に1994年に生まれた再開発地区「ファーレ立川」は、109点もの作品が並ぶパブリックアートの集積地として知られる。2022年10月、その一角に設置された造形作家・岡﨑乾二郎の作品《Mount Ida─イーデーの山(少年パリスはまだ羊飼いをしている)》の撤去計画があるとの報道が広がり、話題となった(その後、現在の設置場所での保存が決定)。
今回の発表では、同作品の撤去騒動の経緯を振り返るとともに、米軍基地跡地に「ファーレ立川」が生まれた歴史的背景や、アート・プランナーとしてパブリックアート設置を担った北川フラムの考え、岡﨑が同作に込めた思いなどを紹介した。さらに、騒動のなかでさまざまな研究者や作家から提起された問題点をあらためてピックアップ。国内外のパブリックアート撤去をめぐる事例も合わせて紹介し、「たましらべ」メンバーでのディスカッションを行った。
意見交換のなかでは、メンバー自身の実感から、2000年代頃を境にファーレ立川をめぐる状況が変化していった(設置当初のコンセプトが形骸化した)のではないかという意見や、岡﨑作品の特徴であるフェンスという素材が住民に与えたかもしれない影響への指摘、立川という都市に見られるヒューマンスケールな街の魅力の欠如などの論点が挙がり、旺盛な議論の場が生まれた。(杉原環樹(ライター・編集)) -
「あわいのぐるり」(松田洋一)
昨年度の「多摩の未来の地製図を共に描く」の連続WS、「あわいを歩く」の最後に行った、「あわいを歩く~気づきの共有展」をふりかえりつつ、記録と記憶について語り合ってみました。
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「縄文探究ユニット「縄と矢じり」のお話し」
縄文探究ユニット「縄と矢じり」さんのお話をお聞きしながら、多摩の近現代史だけでなく、ベースとしての縄文文化にも視野を広げて議論してみました。
参照リンク:
「縄と矢じり」HP -
「環境アーカイブズの皆さんとお話ししてみる」(法政大学大原社会問題研究所環境アーカイブズの皆さん)
法政大学大原社会問題研究所環境アーカイブズで働くみなさんのお話しと、保管している資料についての話を聞きつつ、その公開方法や利用方法について、皆で意見交換を行いました。
その資料の公開や共有のしにくさや、分類においてその分類を行う人の主観などが入る部分も、論点の一つとなりました。 -
「最近気になってる場所の話・行った場所の話・好きな場所の話」前編
たましらべ参加者の皆さんの、最近気になっている場所について聞く回その1。