❶なかのさんの活動紹介
『水産学と写真のあわいで サケマスとサーミとロマと』
なかのさんのこれまでの活動や、旅において大切にしていることについて伺いました。
①なかのさんの旅の数カ条:
・サケとロマのいる国ならどこでも。
・巻き込まれることを楽しむ。
・辺境などない。そこに人の暮らしがある限り。
・とにかく現地の人たちに気に入られるようにしなさい。彼らにあなたを受け入れる義務はないのだから。
❷五感の記憶が促される、情景が視覚化されるもの
『「聞く」「感触」「匂い」「味」』
写真や映像のような記録には、視覚的に見えるもの以上の様々なものが含まれています。例えばその写真を撮った場所の音やにおい、感触などが、写真を見るだけで蘇ってくることがあります。そのような、「五感」の経験について、なかのさんの撮影した写真を見ながら伺いました。
なかの)この写真は、トナカイの集積です。これは私の中で音の記憶としてすごく残っている一枚なんです。これは、数百頭のトナカイが、追い込まれた最後の柵の中に、一斉に放たれてる瞬間です。このときの音っていうのが、口で表現するとツッツカツッツカっていう音なんです。時代劇なんかで馬の蹄の乾いたカッカッって音とは違うんです。この地面が土で覆われてるのと、。雪が降ったりして濡れてるせいでもあるかもしれないんですけど、柔らかい絨毯とか、濡れた絨毯の上を走っていくような音がするんですよね。しかも周りは全く無音なんですよ。静かな森の中で、この音だけが響いてくるんですね。この瞬間、この中を駆け回ってくるトナカイの土を叩く蹄の音と、トナカイを捕まえるときに男たちがおー!って声をあげる音。その音以外何もしない、静けさの中に響いてくるこの音っていうのはすごく印象に残ってて、この1枚を見ると、それが自分の中でフラッシュバックします。
❸持ち寄ったものを、思い思いの場所に置いてみる
それぞれ持ち寄ったものを会場に置き、皆で話しました。
なかのさんから参加者へ、事前に出されていたワーク:
自分の生活や日常の中、過去のものの中、前回のフィールドワークの中で、自身の五感の記憶が促される「情景が視覚的にわかるもの」をお持ちよりください。
参加者の持ち寄ったもの(一部):
参加者1
気になった写真を何枚かプリントしてみた。
写真①:霧がすごかった。肌に触れる霧の感じを思い出す。
写真②:夏にちょうど東名高速が台風で走れなくて、下を走ってたら、海沿いで見えた風景。月と雷。車の中から写真を撮るために窓を開けたら、湿度と海の香りが入ってきた。家族には迷惑がられた。これも肌に残る記憶。
写真③:よく会いに行っていた、農家のおばあちゃんの納屋の写真。もう壊されちゃってないけど、その時話を聞いた話し声とか、おばあちゃんの表情とかを思い出す。
参加者2
粉塵、匂い、熱さを思い出す写真。
→匂いの記憶は残る。自分の場合、強烈な匂いも記憶に残るし、似たような匂いを嗅いだ時に、別の映像が浮かんできたりする。(なかのさん)
参加者3
フィールドワークの時に、福島を歩いてて。いく道が綺麗で、再生してきているな、いわきの夜も賑わっているなと思ったんだけど、帰ってきて、ゼネコンの人たちがやったと言う話しを聞いて、よく考えてみると、綺麗になってる=税金で再生された道なんだなと。その綺麗な道には人が全然いなくて。語り部のおばあさんも、口籠る時があったりして。震災までの話は楽しい話は饒舌で、震災後のはなしは弾まない。それって、グレーだと。グレーの部分がパッと見全然見えない、福島。
見た目は綺麗だけど、原発の周りにも綺麗な再生施設はあるけど、原発のところにはいけないようになってる。古い家があるけど、入れないようになっている。居心地がいい古い場所は朽ちて、入れないようにして、綺麗な道は作る。無理矢理、実態を伴わない、再生の黒と白を感じたのが福島。この映像は白と黒が常に入れ替わっていて、それがまさに、あわいかな、と。
参加者4
「オオカミの護符」という本を読んだ時に草野や秩父には三匹獅子舞の伝統があって、それが多摩の方に伝わってきているということを知った。これ(写真)は近所のカフェ。うちの近くの青渭神社でも三匹獅子舞が行われていたが、コロナで2年間やられてなかったそう。存続の危機ということで、そのカフェで三匹獅子舞のデモンストレーションが行われた。その話をSNSで知って。ここ(住んでる場所)にもあったんだ、と思って。実際に三匹獅子舞の時に吹かれる篠笛の練習にも参加した。
本の中で知った「三匹獅子舞」という言葉をSNSで発見して、それが実は近所の神社で行われていて、練習に参加して、篠笛を実際に吹いた。ただの単語だったものが自分の体験になっていく流れがあって、面白かった。不思議な経験をしたなと思う。
参加者5
自分の撮った写真で、五感を刺激されるものがあまりないなと思う。
山登りが好きなんですが、山に登った時の、感覚が呼び起こされる色んな人の写真と、もらった鹿の角。自分の写真だと、最近御巣鷹の尾根というところにいったので、その写真を持ってきた。自分の撮った写真に納得いかない。人の撮ったものを見ると、刺激がある。
→撮った時点で、その撮る被写体を決めているわけで、そこには撮っている本人の感情が入ってる。私の場合もそうで、どの瞬間で撮ってるかといわれたら、感情に委ねて撮っている部分が多いと思う。そう考えると、少なくとも、これは見た人に影響を与える写真かなと。(なかのさん)
参加者6
足尾銅山と渡良瀬川の周りの写真と、その辺りを自転車で回った時の映像。汚染されていながら、新しく開発をされて綺麗になった風景。自分の体の記憶があるもの。ヨシを狩ったり。
住んでいる人たちの心の中の見えない傷。
❹最後、なかのさんから
あわいの部分でないと、表現できないものが確実にあります。そこに大事な意味を見出していくべきだと思うし、大事にしていきたいと思います。